2011年8月9日火曜日

【狭山事件概要】 (中田善枝さん下校~失踪~脅迫状)

1963年(昭和38年)5月1日(水)午後3時半ごろ、埼玉県狭山市内の農家の娘で川越高校入間川分校別科1年生の中田善枝さん(当時16歳)が、「今日は誕生日だから」と友人らに言い残し、いつもより早く自転車で下校した。この日の朝食はお祝いとして赤飯だったが、帰宅後に自宅で誕生日の特別な計画はなかった。

川越高校入間川分校は定時制で、本科は夜間の4年制、善枝さんが通っていた別科は昼間の2年制で家政科のみ。地元では花嫁教室と呼ばれていた。2年制の別科を終えても高校卒業の資格は与えられず、各種学校扱いである。別科の1年生はこの年1クラスで、善枝さんはホームルーム長だった。

この日は午後2時ごろから小雨が降ったり止んだりしていたが、午後4時20分ごろから本降りになっていた。午後6時50分ごろ、四女の善枝さんが帰宅しないのを心配した中田家の長男・健治さん(当時25歳/農業)が車を運転して4㌔離れた入間川分校へ行き、善枝さんがいるかどうか訊ねた。だが、昼間部の全生徒は帰宅していたので、別コースを通って善枝さんが帰宅したと考え、健治さんは入曽駅に寄って午後7時半ごろ帰宅したが、善枝さんはまだ帰っていなかった。ひとまず、夕食を食べてから対策を考えることにして健治さんは家族と共に夕食のうどんを食べていた。

それから10分後の午後7時40分ごろ、健治さんが玄関口のガラス戸に白い封筒が挟んであるのを見つけ、それを末弟・三男の武志さん(当時11歳/堀兼小学校6年生)に取らせ、健治さんが受け取った。封筒はすでに開封されており、「中田江さく」と宛名があり、封筒の中の大学ノートを破った紙を取り出した。中田栄作さん(当時57歳)は善枝さんの父親である。そのとき、次男の喜代治さん(当時19歳/入間川分校4年生)が下に落ちた善枝さんの高校の身分証明書を見つけて拾った。

全家族が脅迫状を見る。健治さんと父親の栄作さんが主に読み、善枝さんの姉(次女)・登美恵さん(当時23歳/家事手伝い)が傍らでのぞいた。そこには「子どもの命が欲しかったら、2日夜12時、佐野屋(酒類雑貨商)の前に20万円の金を持ってこい」という内容の脅迫文が書いてあった。10分前に帰宅した時には脅迫状がなかったから、その10分の間に脅迫状がガラス戸に挟まれたことになる。

また、脅迫状には「警察に話したら子どもは殺す」と書かれてあったが、健治さんは躊躇することなく、隣家の親戚に脅迫状を持って行った。このとき、栄作さんは納屋に行ったが、車の脇に善枝さんの自転車が帰されているのを発見した。健治さんは隣の中田玉平さんに脅迫状を見せ、事件が起きていることを知らせたあと、自宅に戻り、午後7時50分ごろ、納屋の奥から電燈のコードを引っ張り、灯りをつけると雨に濡れた自転車のサドル部が濡れていなかったことに気づいた。

その後、午後7時55分ごろ健治さんは父の栄作さんとともに堀兼駐在所に届出た。脅迫状を発見してからわずか15分後には駐在所に届け出たことになるが、時間的にはかなり無理がある。直ちに駐在所から狭山署に連絡され、緊急捜査体制が取られた。


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