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2011年8月11日木曜日

モヘンジョ・ダロ ~大量殺戮とガラス化した死の町~

謎多き遺骨
紀元前2500年ごろから突如、インダス川中流域で発達した、インダス文明の中心都市モヘンジョ・ダロ。その完璧な都市計画はオーパーツといっても過言ではない。モヘンジョ・ダロは、整然と区画された都市遺構や城塞、ほぼ完全な下水施設を備えていたことで有名だ。大沐浴場では、床と壁面はレンガを石膏モルタルで固定し、その表面をアスファルトで覆い、さらにレンガを重ねて水漏れを防ぐという徹底ぶりだった。
だが、もっと大きな謎がある。同遺跡は7層からなり、古い時代から順に積み上げられているが、不思議なことに上の層は下の層の完全なコピーになっている。つまり、原始集落社会から数千年をかけて発達するはずの都市文化が、下層にあたかも突然出現したかのような構造になっているのだ。逆に言えば、知られざる超文明がインダス文明以前に存在していたのかもしれないということになる。さらに不思議なのは紀元前2000年ごろ、インダス文明は突如として歴史から姿を消してしまう。理由はいまだにわかっていない。


その謎について、興味深い遺物がモヘンジョ・ダロに存在する。複数の遺体が不自然に折り重なり、ねじれ、苦悶の表情を浮かべて一瞬のうちに死に至ったと思わせる遺骨で、末期層の路上や屋内の遺構9箇所から48体発掘された。火山噴火ならば、逃げる手段もあったはずだが、逃げる間もなく<突然の死>を迎えたかのような遺骨ばかり。その一部の白骨には高温加熱の焦げた跡が歴然と残っている。


1978年、現地を調査した古代史研究家のDダヴェンポートとEヴィンセンティは、インドの古代叙事詩「ラーマーヤナ」の舞台がこのモヘンジョ・ダロではないかと推測し、調査を開始した。すると遺跡から5㌔ほど離れた場所に、現地の人が<ガラスになった町>と呼んで立ち入りをタブーとしてきた区域があることを知った。そこは、ガラス化した石が直径400㍍ほどの範囲にわたって一面に散乱しており、高熱で溶けた土器やガラス化した黒い石などが発見された。ローマ学科大学の分析では「融点1400~1500度以上の高熱」でしかも非常に短時間の作用で加熱されたものだということがわかった。


その何かの惨劇直後から4000年にわたり、この都市は打ち捨てられたままになった。モヘンジョ・ダロが「死の丘」を意味するゆえんである。



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2011年8月9日火曜日

タップ・オノス ~スコットランドのガラス化した遺跡群~

ヨーロッパでも高熱の影響を受けたとしか考えようのない遺跡がある。スコットランドには考古学的にもいまだ謎のガラス化した砦跡が数多く存在する。1880年に当地を調査したエドワード・ハミルトンによれば、その数は60以上にものぼるという。

なかでも有名なのはライニー付近、タップ・オノスの丘上にある先史時代の遺跡である。砦を囲む塁壁の石が近くで見ると、原因不明の高熱でガラス化しているのがわかる。明らかに熱により変形し、溶解している。その後、ロンドンの自然史博物館の科学者チームが調査したが、やはり原因はわからなかった。こうしたガラス化現象が起きるにはセ氏1100度以上の高温が必要だが「事故による火災が原因ではない」と結論している。

なぜスコットランド一帯の限られた地区に高熱破壊されたとおぼしきガラス化砦が集中しているのだろうか…


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2011年8月8日月曜日

ガラス層に残る<死の灰>の記憶

第二次世界大戦末期、アメリカ軍が1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分広島市に、3日後の8月9日午前11時02分、こんどは長崎市に原子爆弾を投下した。当時の広島市の人口35万人(推定)のうち約14万人が、長崎市の人口24万人(推定)のうち約14万9千人が死亡した。アメリカ軍は人類史上例のない最悪の大量破壊兵器を使用したのである。

人類初の原爆実験「マンハッタン計画」を成功させ、原爆の父となったユリウス・ロベルト・オッペンハイマー博士は、ロチェスター大学の講義で「アラモゴードでの原爆実験が本当に世界初なのか?」という質問を受けた際、「ああ、近現代においては初めてだろう」と、意味深な言葉を残している。

実は、古代に核戦争(爆発)が起こったことを示唆する痕跡がある。米マサチューセッツ工科大学卒のエンジニア、アルピオン・W・ハートがアフリカ内地における開発プロジェクトを任命された際、リビア砂漠で南北に130㌔、東西に50㌔のエリア内に半透明黄緑色のガラス層を発見した。それから数十年後、彼は人類初の原爆実験が行われたニューメキシコの砂漠を歩いた際、リビア砂漠で見たものとまったく同じ光景を見た。それは爆発の高熱にさらされた砂漠の砂が、瞬時に溶解して緑色のガラスに変化したものだったのだ。だとすれば、彼が目のあたりにしたリビア砂漠のガラス層は、古代に核戦争(爆発)なり核実験があったことを示唆せずにはおかなかったのである。

現実に、古代核戦争(爆発)を示唆する遺跡がある。代表的なのが、現在のパキスタン南部に位置するハラッパー遺跡、そしてモヘンジョダロ遺跡だ。同遺跡で調査に当たったロシアの科学者が、人骨群の一部から通常の50倍にのぼる放射能を検出。さらに町からは、瞬間的な高熱を浴び、溶解してガラス化した壺の欠片やレンガの破片が大量に見つかっている。核爆発が起こったとしか思えない光景がここにも広がっていたのだ。そしてまた、インドのムンバイ付近からは大量のクレーター跡も発見されている。最大のものは直径約2.1㌔にのぼり、年代は約5万年前に遡る。だが奇妙なことに、隕石は一切発見されず、巨大なクレーターのみがそこに残っている。同クレーターからも、やはりガラス質の地表、そして<瞬間的な高熱を浴びた>跡が発見されているのである。


インドの神話、「マハーバラタ」「ラーマーヤナ」「リグ・ヴェーダ」は、太古に起きた大戦争の様子が伝えられており、ミサイルを思わせる武器や核戦争と思わせる描写が随所に挿入されている。


これらは古代人の想像の産物なのだろうか。古代に起きた核爆発らしき痕跡が世界各地に残っているのはなぜだろう。では古代において核戦争が起こっていたとしたら、それを起こしたのは、いったい誰なのか?確かなことは、彼らは核というエネルギーを戦争に用いたため、滅びの道を歩んでしまったということである。

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